「信濃鶴 純米吟醸49名田造(なたぞう)」同じく「55頑卓(がんたく)」「60田皐(でんこう)」といった風格のある名前のお酒がならぶ長生社。実はここは知る人ぞ知る、純米蔵から純米吟醸蔵へとステップアップした蔵なのです。
1920年に誕生した銘酒「信濃鶴」
歴史を感じさせる蔵では蒸し上がった酒米をスコップで掘り出し布に包んで持ち上げ、真っ白な湯気と共に蔵人が2人組になって木の階段を駆け上がっていきます…。蒸米を運んでいるのは麹室(こうじむろ)。大事な仕込みの一工程です。神聖な、けれど蔵人にとっては日常の世界。
長生社は、地元の米と水にこだわり、100年以上「信濃鶴」を醸してきました。1883(明治16)年、創業者・北原久次郎氏が兵庫県の灘で修業後「田澤酒店」を創業し、「天竜正宗」という酒を造っていたといいます。
その後、1920(大正9)年には、周辺のいくつかの蔵が集まって酒造株式会社長生社を設立。このとき東広島の加茂鶴酒造の指導を受けてその蔵を参考に自分たちの仕込蔵を建設したことから、鶴の一文字をもらって酒を「信濃鶴」と名付けたそうです。以来「信濃鶴」は、駒ヶ根の地酒として多くの人に愛されてきました。
20年前に純米蔵として全量を純米酒に
日本酒の消費量は1973(昭和47)年ごろをピークに、右肩下がりの一途をたどります。「苦しい状況下で、日本酒の原点に帰ろうと思いました。地元の人たちに米と水だけで造る本来の酒を飲んでもらいたい。その思いから純米酒に生き残りをかけました」と語るのは、蔵元兼杜氏の北原岳志さんです。清水の舞台から飛び降りる覚悟だったといいます。
父である4代目蔵元の久爾(ひさじ)さんに反対されながらも、少しずつ純米酒に移行する準備をはじめ、2001(平成13)年には、全国で5番目、信州で初めて純米酒だけを造る純米蔵としてスタートを切りました。
「味が変わった」「お燗には向いていない」といわれることもあったそうです。一時期は売り上げが減少するものの、地元で応援してくれる人たちや新しいファンに支えられ、そのおいしさは全国に知られるようになりました。
純米蔵から純米吟醸蔵へ、さらなるステップアップ
「信濃鶴」誕生100年を迎えた2020(令和2)年にこれまで醸してきた純米、特別純米、大吟醸を一新。3種類の純米吟醸酒を誕生させました。そしてラベルには「信濃鶴」の文字のほか、商品の区別をするため「名田造(なたぞう)」「頑卓(がんたく)」「田皐(でんこう)」と先代たちを表す名前がつけられたのです。
「純米吟醸酒はちょっと高級で、地元よりも東京の方が売れるというイメージがありますが、こういう高品質なものを地元のために造って、手頃な値段で提供したい。それが町づくりの一助になればいいなあという大きな野望があるんです」と蔵元。地元の人に飲んでもらってこその地酒、そして地元の人が誇れる地酒を造っていきたいと熱く語ります。「だから、うちの酒は純米吟醸酒ではなく、純米吟醸地酒でやっていきます」
長い歴史の中で、純米酒へと見事な変化をとげた駒ヶ根の地酒「信濃鶴」は、純米吟醸地酒として新たな一歩を踏み出しました。
酒造株式会社長生社
長野県駒ヶ根市赤須東10-31
☎︎0265-83-4136
※蔵見学は行っておりません